BOBSONホールディングス ボレーグループとの3ブランドを大型連携
(株)ボブソンホールディングスが「ボレーグループ」と3ブランドの大型連携をすることになりました。
BOBSONは1980年代からエンゼルフライト、ニットジーンズ210など長期にわたってニットパンツとジーンズを販売してきましたが、ニット部門を全面的にボレーグループに移行します。
デニムの風合いとヴィンテージ感を残しながら着心地とスタイリッシュさを追求したハイテンション・デニムの開発など今後の新商品の開発をご期待ください。
(株)ボブソンホールディングスが「ボレーグループ」と3ブランドの大型連携をすることになりました。
BOBSONは1980年代からエンゼルフライト、ニットジーンズ210など長期にわたってニットパンツとジーンズを販売してきましたが、ニット部門を全面的にボレーグループに移行します。
デニムの風合いとヴィンテージ感を残しながら着心地とスタイリッシュさを追求したハイテンション・デニムの開発など今後の新商品の開発をご期待ください。
ボブソンは、森薗さんが監督兼選手をする静岡ジェードのチームスポンサーになることを決定しました。
今後は、森薗さんと静岡ジェードを卓球ファンの方々とともに応援していきます。
作者である増山様が、弊社に何度も足を運んで
取材された本が出版されましたのでご紹介させていただきます。
下記、弊社代表取締役からのメッセージです。
弊社とライセンス契約をおこなっているロジェールジャパン株式会社様の商品のご紹介です。
ボディバッグ、トートバッグを中心に質の高い商品を製作されています。
店頭などで見かけたら是非お手に取ってみてください。
商品に関するお問い合わせはロジェールジャパン(https://lojel.co.jp/)の方へお願い致します。
2023年2月より、株式会社ボブソンピーチフォートはプロ卓球選手 森薗政崇選手と所属契約を更新致しました。
森薗選手とボブソンは今季より6年目の所属契約になります。
今年の全日本選手権男子ダブルスでは、張本選手と共に見事優勝。
選手としてはもちろん、多岐に渡っての活動にも是非ご注目下さい。
これまでの5年間についてのインタビューをボブソンソフトアスリートにて掲載しております。
(【インタビュー】森薗政崇とボブソンの6年目。これまでの5年間を振り返る。)
今後もボブソンホールディングスでは関連会社ボブソンソフトアスリートと共に、幅広い世代へスポーツ人口を拡大し、100歳健康年齢社会の実現に貢献していきます。
【選手プロフィール】
森薗政崇(もりぞの まさたか)
1995年4月5日生まれ 東京都西東京市出身
小学校までは自身の親が経営する美鷹クラブに所属。その後、青森山田中学校・青森山田高等学校、明治大学を卒業。ボブソン所属。
代表選手として国内外で活躍する一方で、FPC株式会社の代表取締役社長も務める。
国内戦歴
2014年
平成25年度全日本卓球選手権大会 男子ダブルス 優勝(三部航平ペア)
第81回全日本大学総合卓球選手権大会個人の部 男子シングルス 優勝
2015年
全日本卓球選手権大会 男子ダブルス 優勝(三部航平ペア)(二連覇)
全日本大学総合卓球選手権大会個人の部 男子シングルス 優勝(二連覇)
2017年
全日本大学総合卓球選手権大会個人の部 男子シングルス 優勝
2018年
全日本卓球選手権大会 混合ダブルス 優勝(伊藤美誠ペア)
2019年
全日本卓球選手権大会 混合ダブルス優勝(伊藤美誠ペア)(二連覇)
2019年度
全日本卓球選手権大会 混合ダブルス優勝(伊藤美誠ペア)(三連覇)
2021年
全日本卓球選手権大会 男子シングルス 準優勝
2023年
全日本卓球選手権大会 男子ダブルス優勝(張本智和ペア)
2022年12月より、株式会社ボブソンピーチフォートはプロ卓球選手 宇田幸矢(うだゆきや)選手とスポンサー契約を致しました。
2022年より渡独し、ドイツ・ブンデスリーガ1部のチーム、ケーニヒスホーフェンに所属。国際大会でも活躍されている宇田選手ですが、世界ランキングは男子シングルスでは日本人では2番目の20位。男子ダブルスではペアの戸上選手と1位となっています。(2023年3月29日時点)
今後もボブソンホールディングスでは関連会社ボブソンソフトアスリートと共に、幅広い世代へスポーツ人口を拡大し、100歳健康年齢社会の実現に貢献していきます。
市民スポーツ組織を持続的成長が可能な組織とする支援活動を通して、持続成長が可能な市民スポーツを活性化します。
【選手プロフィール】
宇田 幸矢(うだ ゆきや)
2001年8月6日生まれ 東京都調布市出身
東京都北区立稲付中学校、大原学園高等学校在学中にJOCエリートアカデミーに所属.
明治大学 在学中
所属歴
2019-20 木下マイスター東京
2020-22 琉球アスティーダ
2022- ケーニヒスホーフェン
国内戦歴
全日本選手権 男子シングルス 2020 優勝
全日本選手権 男子ダブルス 2022 優勝
世界卓球選手権戦歴
全日本選手権 男子シングルス 2020 優勝
全日本選手権 男子ダブルス 2022 優勝
現在世界ランク
男子シングルス20位
男子ダブルス1位(2023年3月29日時点)
先日1月28日におこなわれた2023年全日本卓球選手権大会 男子ダブルス。
熱戦の末、見事優勝されたボブソン所属の森薗政崇選手が優勝報告に来てくれました。
そこで今回は急遽 弊社尾崎社長との対談が実現。
話題は近況報告から始まり、インタビュアーからの質問も交えつつ、お互いの会社経営についての熱い話も。
和やかな雰囲気の中、終始それぞれの卓球愛が溢れた対談となりました。
こちらのblogでは怪我から復帰までの道のりと、お二人の経営観を中心にお送りいたします。
尾崎社長(以下、尾崎):まずは全日本男子ダブルス優勝おめでとうございます。
森薗政崇(以下、森薗):ありがとうございます!おかげさまで優勝することができました。
尾崎:今回怪我もあって心配してたんですけど、大会まではどんな感じで動いてたんですか?
森薗:手術をしたのが10/31で、それから約2か月半で手術をして回復をして、試合をしないといけない状態だったんです。リハビリの先生には「8週間は本気の動きはしちゃダメ」って言われてて。
でも手術の前にリハビリの先生と執刀医の方に「なるべく早く復帰したい」っていうのを伝えて、全身麻酔ではなくブロック注射と局所麻酔でなるべく身体に負担が少ない方法をとりました。
尾崎:手術は痛くなかった?
森薗:麻酔を打つときは本当に痛かったです。術後は麻酔効いてる間は「全然余裕じゃん」と思ってたんですけど、麻酔が切れると無茶苦茶痛くて。その夜はアイシングしながら過ごしました。
尾崎:具体的にどんな怪我だったの?
森薗:前シーズン2月の試合なんですけど、その日はすごく動けて調子もよくて。途中でバンッと強く床を踏んだときに違和感があったんですが、そこから痛みが続くようになったんです。
いわゆる「ネズミ」って言われるんですけど、関節の間に欠けた骨が挟まるっていう状態なんですよ。僕の場合は、膝近辺の欠けた骨が左足首まで降りて関節に挟まっちゃって、そのまま靭帯に癒着してしまったんです。日常生活だと階段降りるときに若干痛いくらいなんですけど、卓球だと足を蹴って戻ってくる動きがすごく痛いのと怖いのとで、満足いくプレイが出来ないので取ってしまおうって感じでした。
尾崎:それは他の卓球選手にも多い?
森薗:執刀医の人に聞いたらサッカーやバレリーナなど足首を伸ばす動きの人に多いらしくて、卓球選手では初めて診たと言われました。僕はフォアを打つときに足をグッと伸ばすようにして打つんですけど、その動きが負担だったみたいです。
尾崎:張本選手とは怪我について話したりした?
森薗:しましたしました。でもペアだしあんまり心配もかけたくなくて。多分結局「手術する」って伝えてなかったと思うんですよね。復帰するっていう強い意志もあったので人知れず(手術を)やって、事後報告してって感じでした。
尾崎:なるほど。手術から全日本まではかなり短い期間だったけど、感覚として調子はどのくらいまで戻ってたのかな。
森薗:ギリギリでしたけど、全日本直前に試合したときには「そういえば手術したな」と思えるくらいには戻ってましたね。
尾崎:一昨年はシングルスで準優勝で、今回男子ダブルスは8年ぶりだったのかな?8年って単純に結構、、、長いよね(笑)。
森薗:長かったです(笑)。そう考えると(全日本男子)ダブルスの優勝は大学1年の時が最後なんですよ。混合ダブルスに集中して4年間出なかった時期もありましたから。でもこれでボブソン所属として日本一を取ることが出来て良かったです(苦笑)。
尾崎:本当に有難いよね。所属して4年間でここまで結果出してもらって。
苦難の末に優勝を勝ち取った森薗・張本ペア(森薗選手のTwitterより)
ーー怪我を乗り越えた先に見事掴んだ勝利だったんですね。ここからは質問も交えつつ、お話を聞いていければと思います。まずはいつものプレーで心がけてることがあれば教えてください。
森薗:めちゃくちゃシンプルなんですけど、手を抜かないということですね。全日本決勝でも、地区大会1回戦でも、全部同じテンションで試合することを心がけています。
ーーいろんな試合がある中で「この試合は体力温存しよう」というのはない?
森薗:ありますあります。何なら棄権して出ないとかもあるんで。それ自体は戦略の一つなので全然アリなんですけど、(試合するときは)どの試合もテンションを同じにしておかないと、いつ自分の状態が良くて勝ち上がれるのかが分からなくなるんです。
Tリーグだと、シーズン通しての試合で勝ったり負けたりする中で、モチベーションを保つのがすごく難しいんですよ。負けが込むと落ち込んだり、「もう出たくない」ってなる選手もいますし。そういう風にならないようにいつもマックスで普段通りが出来るようにってのは心がけてます。
ーー確かにいつも熱量の高いプレーをされていますもんね。森薗さんといえば気迫のある熱いプレーが特徴的ですが、その熱量は「ファンに応える」というようなものもあったりするんでしょうか?
森薗:そうですね。やっぱりドイツの経験が大きくて。中学1年生の時から向こうのリーグに半年ずつ参戦させてもらってたんですが、1部から13部まであるんですよ。僕は4部からのスタートだったんですが、4部って昔上手かった60代のおじさんとかも全然いるんです。
その中で混じって試合するんですけど、当然観客は一人もいなくて。しかも同世代の子達はそのとき国際大会とか出てるんですよね。それを映像で見つつ、一方で僕はビール片手間に飲みながらやってるようなおじさん達と試合するっていう(笑)。
尾崎:それもまたすごいね。
森薗:もうすっごい悔しかったんです。人に見られないってこんなに苦しいことなんだなと。初めて1部に上がって、沢山の人に自分を見てもらえたときはすごく嬉しかったですね。そこから人に見られるような試合をするのが自分のコンセプトにもなっています。
ーー少し話題は変わりますが、尾崎社長の方針でボブソンのデニムのサイズ展開もなるべく広く、沢山の人に届けられるようになっていますよね。スポーツとアパレルの違いはあれど、森薗選手の「沢山の人に見てもらう」コンセプトは、尾崎社長の経営にも何か繋がっているような気がしますね。
森薗:僕も気になります。実際、卓球とアパレルの経営で通ずる部分っていうのは多いんでしょうか?
尾崎:う〜ん。まあ組織っていうものは、例えば会社だろうとスポーツの団体でも、基本的な部分で大事なのは達成感であったり楽しさであったりで、そういうものがないと続いていかない。一度しかない人生だから自分のやりたいことをやっていくべきだし、会社としても、なるべくそういう場を作ってあげたいと思っています。
スポーツ選手も、個人でもあるけどある意味で団体戦でもありますよね。そういう部分で会社と同じようなものだと思っていて。結果が中々出ないこともあるし、景気やトレンドの変化で突然売れ始めるようなこともある。今の時代はそんな簡単に売れたりはしないから、ひとつひとつクオリティを積み重ねていくしかないんです。「手を抜かない」というのは私達にとっても大事なことですね。
森薗:個人であり団体戦っていうのはめちゃくちゃ分かりますね。リーグとかやってるとまさにそうで。会社のように個々で頑張りつつ、それが集合して力になるというか。
尾崎:組織を運営する人間としては、働く人達がそれぞれ自然に力を出せるような環境づくりが大事だと思います。個々にある程度任せて、それぞれが自然な形で活躍できるのならそれが一番良いですよね。そのことを忘れてしまうと、会社がたとえ大きくなっても誰も幸せにならない。一人がもの凄く儲けても仕方ないですから。
森薗:なんか、、、監督みたいっすね、、、
(一同笑)
森薗:いやでも本当に。監督って僕ら選手が活躍できるような環境作りとか、マネジメントの要素がかなり大きいんですよ。今の話聞いてると、尾崎さんそのうちチームの監督とかやりそうだなって。 数年後、普通にジャージ着てベンチに座ってるかもしれないですよ(笑)。
尾崎:それも楽しいだろうね(笑)。
ーー社長は従業員個々の成長機会をつくることを大事にされてますよね。社内でも週に必ず数時間は他分野の勉強会の時間を取っています。森薗さんへのサポートもそうですが、その辺りの人への投資についてはどう考えられていますか?
尾崎:まあ投資というか、その人が成長することが一番だと思っていますから。勉強の機会もそれがあること自体が大事だと思いますし、これだけ時代が変わっている中ですからやっぱり自分達も学んでいかないといけません。それは専門的なことだったりもっと包括的なことかもしれませんが、人として成長することが結果的に会社の成長にも繋がっていく。
逆に会社を飛び出していったとしても、どこでもやっていけるような技量を身に付けさせることが出来るのなら、会社としてもプラスになると思うんです。
ーー森薗選手は国を代表する選手として、尾崎社長は会社の経営者として様々な経験をされてきたと思います。中でもお二人にとってそれぞれ一番苦しかったことがあれば教えてください。
森薗:試合でいうと一昨年の全日本シングルスの逆転負けですね。社長から終わった後にすぐに「今は電話はええから」って労いのLIMEをもらったんです。でもその時は人の声が聞きたくてどうしようもなかったのですぐに電話して。「ダメでした」と伝えたら「今はゆっくり休んだらいい」と気遣って頂きました。あの逆転負けは結構自分の中では衝撃的だったので、印象に残ってますね。
尾崎:う〜ん、私はやっぱり社長になったときかな。社長になってから1〜2年は大変でしたね。それまで社長業はおろか、取締役もやったことなかったのにいきなり社長になって会社のすべてを運営するようになって。本当に失敗を繰り返しながらの10年だったなあとは思います。
森薗:苦しい時期に一番最初に何するとかあります?
尾崎:苦しいときはね、苦しいって考えることができない。それぐらい厳しかったですね。会社が苦しくなると、その月その日とどんどん思考の射程が短くなってしまう。資金繰りとか特にね。余裕が出てくれば、1年後、3年後、10年後のことを考えられるようになる。
結局、社長業って先のことを考えるために、如何に今の時点のことを考えることがないような経営をするか、ということなんです。あんまり面白くないですね(笑)。
尾崎:そういう意味でいうと森薗さんは選手でありながら会社(FPC株式会社)も経営されてますよね。選手と経営者両方の目線をお持ちだと思うんですけど、森薗さんが経営について色々考えてることってあります?
森薗:まだ苦しい時期が来てないからかもですけど、今のところすごく楽しいですね。元々一つのことに囚われて視野が狭まってしまうタイプなんですけど、会社を経営することで視野が自然に広がりました。結果的に卓球にも良い影響が出ていて、僕にとってはすごくプラスになっています。組織が大きくなるほど考えることも増えますし、今後大変になってくるんだろうなと思いますね。
ーー逆にお二人が一番嬉しかったこと、テンションが上がったことはなんでしょう?
森薗:なんですかね、、 さっきの会社関連でいえば、ウチは小売業が強いんですけど、単純にモノが沢山売れるとめちゃくちゃ嬉しいですね。特にお客様から感謝の連絡みたいなのを頂くときがあって。ただの通販なのに「発送早かったね」とか「ありがとう」とかメールもらえたりするのは有難いです。人が好きっていうのもあって、選手のときとはまた違う、対面での関わる感じも新鮮で楽しいです。
尾崎:私は、、、、ないかな、、、(笑)。こういう言い方は変かもしれないけど、毎日が淡々と過ぎていくって感じなんです。大きな狂いが無いように調整していて、そこに特別な楽しさや刺激があるかっていうと、そういうわけじゃない。とにかく毎日の積み重ねですよね。営業マンだった頃は大きな仕事を取ってくると「やった!」と思うことはあったけど、社長業はそうではないからね。
森薗:それだけ計算尽くなんでしょうね。自分の考えたことを実現するために必要なものを把握出来ているというか。
尾崎:ファジーな部分も結構多いですよ。ただ曖昧な部分も長くやっていればそれなりに見えてくる部分もあります。ただ、全体像の理想はあるけど、個々の動きや考え方は分からない。だから面白いんだと思うし、それで一応上手くいってると思ってますから。
ーー森薗選手は選手キャリアの間という早い段階で会社を立ち上げられましたよね。大会を開いたりと卓球界への尽力も積極的にされているイメージですが、恩返しのような意味合いもあったりするんですか?
森薗:僕はまだまだ自分が戦うぞという気持ちが強くて、今は尾崎社長のように人に何か与えたりは出来てないと思っています。ただ卓球選手って引退した後に何もないんですよ。メーカーに行くか、コーチになるか、自分で卓球場やるかっていう感じで。勿論どれも素晴らしいお仕事なんですけど、選択肢が限られるのがなんだか寂しいなと思ったんですよね。出来るならこれまで一緒に苦難を共にした仲間達となにかしたいなと。それをするためにはもちろん仕事や金銭的な体力が必要なので、今後も見据えて今の会社をやっています。
ーー森薗さんが意識されてなくとも、新たな場づくりを始めることは卓球界にとってプラスになっていくと思いますよ。
森薗:そうなるといいですよね。やっぱり人が好き、仲間を大切にっていうのが根底にあるんです。本当は日本国民全員に何かしてあげられるならそれが一番良いんですけど(笑)。それは難しいので、なるべく手の届く範囲の人たちと一緒に幸せになっていけたらな、と思っています。
ーー本日は卓球の話題だけでなく、お二人の経営観について熱い話が聞けて嬉しいです。最後に今後の展望について聞かせてください。
森薗:27歳になって、卓球業界だとベテランって呼ばれる年齢になってきたんですけど、自分では全くそんな風に思ってはなくて。これからももっと自分の卓球も変えていくし、もっと強くなっていきたいと思ってます。僕の父も卓球をやってて、60歳で全国大会目指して練習してるんですが、その姿にすごく憧れるんですよ。代表選手としてはあと何年出来るかは分からないですけど、卓球は生涯スポーツとして最後までやり切りたいなと思っています。
尾崎:卓球には色んな形で今後も関わっていきたいです。とはいえ私はジーンズメーカーなので、ジーンズ自体も同じように成長させていければと思っています。卓球とジーンズでは道が違いますけど、両立出来ないことではないと思うし、相乗効果も作っていければと思ってます。これからもこれまで通りモヤモヤしながら経営していくだけですね。
森薗:ジーンズとスポーツってなかなか交わらせるのが難しいことだとは思うんですけど、水と油を上手く混ぜるための作業がこれから待ってるってことですね。
尾崎:両方とも中途半端でなく職人気質のものを作っていこうと考えてるから、尚更難しいところはあるんだけどね。
まだまだこれからだと思うし、森薗さんとも互いに刺激し合えるような関係でいられればと思っています。
森薗:少しでも近づけるように頑張ります!これからも色々勉強させてください。逆に卓球は僕が教えますのでいつでも受けて立ちますよ!(笑)
◆BOBSONの名前の由来は?
ボブシー兄弟というアメリカの児童文学が由来だという創業者本人の言葉が雑誌に残っています。
アメリカにあった児童文学の主人公の愛称「ボブ」にちなんでつけられたそうです。
当時「山尾被服工業」として創業し、その後ジーンズを手掛けていくようになりますが、BOBSONはその頃に生み出されたブランドです。
その当時、アメリカに「双子のボブシー兄弟」という人気の児童文学があったそうです。
当時ベトナム戦争真っ只中だったのですが、その物語が愛国心を養うための児童文学だという意図があると聞いて、創業者の尾崎利春は「それならば岡山にもある」と思ったそうです。
「桃太郎伝説だ」と。
その童話をヒントとして、主人公の「Bobbsey」の愛称である「BOB」に、自身子宝に恵まれなかったので、「自分の子供の様に愛したい、育てていきたい」という思いで息子の意味である「SON」を付けたのだということです。
◆企業理念を教えてください。
Good Life with Bobson
1. 協業をもって、常に創造者であり、先駆者であること。
2. 自主独立であること。
3. 自由と平等の精神によって、善き生き方を追求すること。
企業理念は、どれも「弊社と弊社に係わる方々とともに、こうあり続けたい」という内容であり、また、会社が永続できるには何が必要なのかという内容でもあります。BOBSONの5代目の経営者として私自身が経営を行う上で一番結びつく言葉です。
大企業から中小企業まで全国に沢山ありますが、どんな企業も「売る側と買う側」「働く側と働いてもらう側」において、お互いがビジネスにおいてwin-winになることをしていくことが大事です。
また、相手より、こちら側がより多く与えることがさらに大事と考えています。相手より、少しでも多く取ることばかり考えるような、自分本位なビジネススタイルは、悲しいことです。
ビジネスを通して、人間として成長できることが大事であり、利の取り合いだけに終始して、人間性をすり減らすようなことでは、善なる生き方にならないと思います。
この「お互いがwin-winになること」そのものが、「協業していくこと」だと思っています。
一人でできることは限られています。
色んな方々と事業をやっていくと時間はかかりますが、池に落とした一つの水滴がやがて波紋の様に広がって、いつか必ず大きなうねりになっていく。
ですから、多くの人と協力することが経営では大切だと考えています。すべてを単にお金に換算することなく、無形な形でも互いに利用しながら、成長していくことです。
そのためには、互いに利用価値のあることが不可欠であり、その為には、常に自己投資・研鑽を行っていくことは必須だと考えます。
一方で、多くの方々と協業する中でも、企業人として自己を確立していないと不安定な企業になってしまいます。
自己を理解する為にも、協業の中でも「自己投資により常に創造者であり、先駆者であること」を企業自身に求めてきました。
そして、企業として「どんなことがあってもやっていくんだ」という信念は絶対に必要だと思っています。
相手にもたれかかっていては共存共栄を成り立たちません。
それが二つ目の理念にもある「自主独立であること」に当てはまると考えています。
企業として、中核事業というアンカーを持たない状況で、柔軟性を持たせますと単に周りに流される危険な状況になることがあります。
今は、歴史的転換点であり、これから創造できない未来がやってくるはずですので、常に努力していかないと周りに流されてしまう時代です。
個人の能力が問われる今の様な時代だからこそ、普段からの勉強が大切だと感じています。
時代や場面によっていろんな常識が変わっていくのを最近改めて目の当たりにしました。
その中でも流されないように日々行う「楽しく行える自助努力」こそが三つ目の信念である「自由と平等の精神によって、善き生き方を追求すること」につながると考えています。
◆今後の展望や目標は?
BOBSONは時代時代に応じて変化していきます。
変化は、失敗の積み重ねによってしかできないと考えます。「何回失敗しても、最後に1回成功すれば良いんだ」と思っています。
過去に山のような失敗をしてきており、今後も沢山の失敗をしていくと思いますが、失敗することで、経験を積み重ねることができれば、会社は確実に成長させていけると思っています。
1969年にボブソンブランドが誕生し、創業からのジーンズ技術を駆使して作られたBOBSONの本格派ライン【アースカルチャー】。
そして、リバイバルであるB-1969-XX-J【岡山産セルビッチデニム】ジーンズ。
先代のアースカルチャーを紐解くことで、最新作のB-1969-XX-J【岡山産セルビッチデニム】ジーンズをより深く知っていただくため、株式会社ボブソンピーチフォート尾崎博志社長にお話をうかがいました。
Q①アースカルチャー誕生のきっかけを教えて下さい。
アースカルチャーは1993年に生まれました。その当時のBOBSONは、会社全体が「高品質と生産性を上げること」を最大の目標としていたんです。そんな流れの中で30〜40代の若手の方から、ジーンズの原点的なものを生み出したいという声が出ました。
高品質つまり均一な完成度で大量生産の物ではなく、生産性の悪いローテクのジーンズを作りたいと。
ローテクによりその不均一さを求める場合、作業行程数や設備を含めて原点回帰する必要があり、経営面からすれば本当に採算性の悪い商品だったと思います。
ボブソンの社風として、創業当時から新しいことにチャレンジすることは、大事なことと考えていました。
失敗しても採算性を度返ししても、若手たちチームにチャレンジさせるのもありだと判断したようです。結果はどうあれ、それは会社の見えない資産として残ることになるはずと考えていたからです。
今でこそSDGsが一般化していますが、当時から人類の将来への暗いものを感じていたチームメンバーは、商品コンセプトをアースカルチャー「地球文化」としたのでした。
アースカチャー「地球文化」の中心コンセプトとし、それまでの会社のやり方でなく、独自の工夫をしました。その一つがこのカタログです。
当時BOBSONには、専門の広告代理店があり、広告宣伝販促に関するアイテムは、すべてその会社を通していたのですが、敢えてすべて独自でカタログを作りました。
常に流行ジーンズを販売していた中で、今のままのBOBSONにはない、アースカルチャーのコンセプトを打ち出すため泥臭いイメージのものをつくりました。
商品紹介というより、「何かを感じてほしい」というコンセプトで作られたものでした。
Q②アースカルチャーの名前の由来を教えて下さい。
1990年代当時の日本は、バブル崩壊により社会不安が広がっていました。それまでの消費文化一辺倒な社会風潮により環境破壊を引き起こされ、社会全体が行き詰まりを感じ、ひいては一部の先進国中心から、地球全体を俯瞰する考えが模索されるようになっていました。
それまでの会社方向へのアンチテーゼとなりますが、それが、「アースカルチャー(地球文化)」の名前の由来となっています。
話は少しそれるのですが、当時香川県にある別の企業が「地球文化」という名前の商品を取り扱っておられて、「アースカルチャーの名前をボブソン社で使わせてほしい」と総務の責任者をしていた私自身がお願いに行き、チームの思いを伝え、了解いただいたこともありました。
Q③なぜ今のタイミングでアースカルチャーをリバイバルするのでしょうか?
「今のBOBSON」は、原点回帰をすすめています。大量生産型のBOBSONからもう一度「ものづくり」を見直す中、アースカルチャーのような存在の重要性、必要性を感じています。
仮想空間内でビジネスが完結していく世界になるほど、「自分たちによるものづくりの重要性」を強く感じるようになってきました。
ネット情報により、どこでも、なんでも、同じようなものが簡単に作れるようになっていますが、その中でも「長くジーンズを作ってきたBOBSONのものづくり」をしたいという思いを強く感じています。
アースカルチャーのような過去にこんな良いものがあって、会社の理念とも合致している商品は少ないと再認識しています。
BOBSONの会社理念では、「協業」をもって「常に創造者であり、先駆者である」ということや、「自主独立である」ことが掲げられています。
我々がそうあるためには、自社で作るというクラフトマンシップこそが先駆者の証拠だと考えます。自分たちが持っている過去の資産「アースカルチャー」こそが常に業界の先駆者としてやってきた証拠でもあります。
加えて、「アースカルチャー」は、若手チームメンバーのアドバイス役として、イタリア人のデザイナーであるアドリアーノ・ゴールド・シュミットが加わっています。
世界的にも有名な「リプレイ」や「ゴールディ」といった数多くのブランドを手掛けた方です。
彼は「人間が自然の一部であるように、ジーンズもそうありたい」という考えも持って全面的にバックアップしてくれました。
そういった点で、アースカルチャーはボブソンの中でも、特異な体制の中で生まれたといえます。私は、アースカルチャーは、今後に創り出す商品コンセプトのアンカーとして、会社全体を導ちびくような方向性の商品でもあると考えています。
そういった意味でリバイバルであるB-1969-XX-J【岡山産セルビッチデニム】ジーンズが誕生しました。
Q④B-1969-XX-J【岡山産セルビッチデニム】ジーンズは、どんな方に、どんな風に履いてほしいですか?
ジーンズをこよなく愛するかた向けに作っていますので、ジーンズ好きなかたにはもちろん過去に「アースカルチャー」を知っていた方や、履いていた方に、もう一度履いてほしいですね。
リバイバルといっても、まるっきり過去のアースカルチャーと同じではなく、多くの点で変わっています。昔と比較して、「変わっている部分」や「加わったエッセンス」を感じてほしいと思っています。
ご興味がある方にはぜひトライアルしてほしい逸品です。このように、「今も昔も知っていただく」という楽しみ方は、長く続く会社の商品でしかできないことですから。