バブル時代のジーンズと時代を作ったBOBSONと日本の技術革新

バブル時代のジーンズと時代を作ったBOBSONと日本の技術革新

BOBSON トップメッセージ尾崎博志の「突き抜ける信念」Vol.3 私の父・尾崎宗次郎(2代目社長)は第2次世界大戦で昭和18年に出征し、「インパール作戦」で知られる激戦地ビルマ(現ミャンマー)に赴きました。 生きて帰れた理由は、機械や電気関係の技術を持っていたため通信部隊に入れたからだと、のちに本人が自伝に記しています。 その自伝には、終戦後の現地で父が隊員の「洋服づくり」を上官に提案したことが書かれています。ボロボロに破れ果てた隊員の服を見かねてのことでした。 父は出征前、兄・尾崎小太郎(マルオ被服創業者/のちのBIG- JOHN創業者)の仕事を手伝っていたので、洋服の作り方を多少知っていたようです。 イギリス軍の兵士から譲り受けたテント用の幕布を使い、ナイフで生地を裁断し、見本を作って隊員たちに作り方を指導したところ、見事に針と糸を使って服を仕上げていく「日本人の器用さに驚いた」と語っています。 当時の職人が残したBOBSONの財産 BOBSONはベルボトムジーンズのヒット以降、ジェンダーレスなブランドイメージが先行し、特に女性に人気があったんです。 レディスは流行に左右されやすいですよね。今年はベルボトムでも、来年はスリムになるなど流行が移ろいやすく、スカートやサロペットなどアイテムの種類も多い。 同じデザイン・同じ仕様の定番商品を作り続けるのと比べると、毎年、違う商品を開発して作らなければならないので経営的にはロスが多くなります。 BOBSONがブランドとして急成長できたのは、そういう困難があったからではないかと思います。 その頃のBOBSONは100%自社工場で自前のモノづくりをしていました。そのため、クイックな生産対応が可能でした。 市場ニーズへの対応がどこよりも速いので、シーズン性の強いアイテムでも納期ギリギリまで引きつけて、「売れる」商品を効率的に生産することができたのです。 それを支えたのが、日本の縫製力です。 愛媛県の吉田工場と山口県の山口工場を筆頭に、全国に10以上の生産拠点を持ち、1工場あたりジーンズを年間100万本単位で生産していたと思います。 各工場で同じ品質の製品を生産するために欠かせないものが、前回の記事でも少しお見せしたBOBSONの「仕様書」です。 とにかく細かく、数字や縫製の注意点まできちんと詳細に書き込んであり、下請けの工場さんの中には「BOBSONの仕様書がウチのモノづくりの元になっている」とおっしゃる取引先もあります。 「仕様書」を見れば、その通りに縫製できる日本人の器用さ、技術の高さがBOBSONを一流ブランドに押し上げてくれました。 「仕様書」はBOBSONの財産です。当時の職人たちに、よくぞ残してくれたと感謝したいです。 BOBSONが起こした流通革命 ジーンズや学生服を作る以前の当社は、作業服を製造販売していました。 その頃の販売手法は「訪問販売」です。社員が直接、商品をお客様のところに持参して商談していました。そのため、全国に営業エリアを広げる中で、各地に営業拠点を設けるようになりました。 1969年にジーンズ生産を始めた後は、デヴィジョンシステムを導入しました。 この場合のデヴィジョンは、支店のことです。沖縄全島が日本に返還された1972年には、北海道から沖縄までの主要なエリアに支店を設け、全国販売網を一気に確立しました。 これまで信頼関係を築いてきた各地の営業拠点に、当社が出資し、法人化を図り、特約契約のある支店としたのです。 これによってアパレルメーカーのBOBSONが全国販売ネットの力を身につけたことは、他社メーカーにマネのできない、大きな強みになりました。 当時のファッション業界は、卸売りが基本でしたから、どこのメーカーも地域の卸問屋に商品を納入し、卸問屋が各エリアの百貨店などに販売していました。 つまり、販路についても、売り方についても、地方の卸問屋に全て「おまかせ」という形で商売していたのです。 しかし、デヴィジョンシステムを確立することで、BOBSONは卸問屋を通さず、小売業者に直接、自社商品を売ることができるようになりました。 卸業者を通さないことで、私たちメーカーも、販売先の小売業者も利益を上乗せできます。 それだけでなく、卸問屋とは違って当社の商品だけを販売することで担当者との意思疎通が図りやすく、ブランドのイメージも、思いも、世界観も、全て意のままに展開できたのです。 当時、国内ではダイエーやイトーヨーカドーなどの総合スーパーがものすごい勢いで全国展開を進めていました。 このような小売業界の流通革命に、いち早く対応し、全国各地に支店を設けるという大英断を下したのは、当時の経営陣であった尾崎利春(財務担当)・尾崎宗次郎(生産担当)・吉田清一(販売担当)の3人でした。三位一体の経営がBOBSONを一躍、ジーンズのトップブランドに進化させました。 バブル時代をつくった「04ジーンズ」 1969年より前のこと、BOBSONが初めて試作したジーンズは、あまりにもゴワゴワしていて硬く、とてもはけるようなものではなかったそうです。そのため、糊剤などの付着物を落とす洗い加工という手法が編み出されました。 国産ジーンズは、出発地点から技術革新とともに進化を遂げてきたのです。 とくに、ジーンズ文化の成長過程にあった80年代・90年代は、ペダルプッシャーとか、カットオフとか、ストーンウォッシュとか、今までなかったようなデザインや技術、素材が生まれては、次々と商品化されていきました。 大量生産・大量消費、作れば売れるという時代。 毎シーズン、商品のデザインを変えるのはもちろん、色から素材から全ての要素を変えていました。「DCブランド」と呼ばれたデザイナージーンズも大盛況でした。 中でも、部分的にブリーチする「ケミカルウォッシュ」が世界的に大流行! いま40代後半以上の方なら、必ず1本は持っていたのではないでしょうか。 この勢いが、90年代の「04ジーンズ」の開発につながります。 BOBSONが世界に初めて送り出した「04ジーンズ」の開発者は、BOBSONの社員だった故・古澤カズオさん。この方は、秀でた才能と才覚を持つ素晴らしい方でした。 レーヨン素材を含んだ「04ジーンズ」は、非常に軽くて柔らかいジーンズです。もう、一挙に何千万本という莫大な本数のジーンズが売れに売れました。 「ジーンズは硬くて重いもの」という常識を打ち破り、世界のジーンズカルチャーを180度変えてしまった。私たちも世の中の雰囲気が一変したような体験をしました。 もともとBOBSONは、特にレディスで強かったこともあり、以前から「軽くて柔らかい生地が求められるんじゃないか」という思いを、ずっと開発者は持ち続けていたんですね。 そこで、古澤さんがある素材…アパレル素材ではないんですが、その素材と出あった時に「アパレルで使ってみよう!」とひらめいたみたいなんです。 今思えば、とても度胸が良かったですよね。 売り上げがずっと右肩上がりだったバブル期ならでは、とも言えるでしょう。 現在、BOBSONは70〜80年代の定番商品の再生に挑戦していますが、それと同時に、新しい素材や加工など、いろんな技術も開発しています。 近年、繊維素材の開発が急速に進んでいます。クール素材も、軽量ジーンズも、保温性の高いジーンズも、BOBSONは早期に取り入れました。 加工技術では、世界のどこにも負けない自信があります。 「定番×革新」を追求し続けて 現在は、スポーツ素材を使った新商品開発も行い、スポーツ用のニット素材とデニム素材の融合技術も開発しました。 そういう、世の中にない新しい機能素材や技術ができれば、どんどん採用していきたいと思います。 前進するためには、定番と革新、どちらもクルマの両輪のように並行して進めていく必要があると考えているからです。 BOBSONは、新しいものをずっと追い求めてきた会社です。 「先取り・先駆け」が、初代の経営者から受け継いだDNA。 現状維持は結局、後退と同じだと自らを奮いたたせ、バランス感覚を大事にしながら常に先駆け、リスクを取って行動し、経営していきたいと思います。
【社長インタビュー】ジャパン・ジーンズの源流「BOBSON」の生成

【社長インタビュー】ジャパン・ジーンズの源流「BOBSON」の生成

BOBSON トップメッセージ五代目代表取締役 尾崎博志が語る「ボブソンの生成」 BOBSON(ボブソン)」というブランドは1969年に誕生しました。 今から、およそ半世紀前のことです。 【ブランド名の由来として、いろんなエピソードが伝わっているようですが、創業者の1人であり2代目社長にあたる私の父・尾崎宗次郎の話では、「Bサウンドは耳に残る」という、当時のマーケティングの影響が大きかったようです】 「BIGJOHN」「BettySmith」「BISON」「VICERER」「BLUEWAY」、岡山県・広島県発祥のブランドの多くが「Bサウンド」から始まっていますよね。 弊社の前身にあたる「山尾被服工業」は、1950年に設立されました。 初代社長は尾崎利春。私の父の兄、つまり叔父にあたります。 「サクラサンエー」という、いかにも日本らしいブランド名の学生服や、作業服の製造販売を手がけていました。 尾崎家は、もともと、香川県の荘内半島で半農半漁の生活をしていました。ところが、製紙工場が出す排水で海に汚染が広がり、この地区での漁業の将来性に不安を感じ、家・田畑・漁業権を全て売り払い、瀬戸内海を渡って真向かいの岡山県・児島に出てきたのです。昔から紡績と縫製が盛んな児島へ引っ越したことが、日本ジーンズの元祖となる「BOBSON」と「BIG JOHN」を生み出す偶然につながったのだと思います。 創業まもなく稼働ミシンは100台を超え、JIS表示認可工場となりました。 また、当時「安かろう 悪かろう」という日本のイメージを払拭するため、通産省が厳しく管理していた対米輸出の認可を得て輸出を行い、日本の対外収益に貢献。岡山県より表彰を得るなどして順調に業績を伸ばしていきました。 ところが、60年代後半になると、収益の大半を稼いでいた学生服に使用していたウール繊維よりも、強くて扱いやすく手間のかからない合成繊維が新たに開発されたのです。 当時、まだ会社の規模が小さかった弊社をはじめ、岡山県内の中小規模の学生服メーカー数社は、その新素材を入手できませんでした。 すると、あっという間にシェアは奪われ、大量の在庫を抱えることになってしまったのです。 設立まもない会社には、新しい業界に出ていくだけの資金的余裕はなく、既存の設備と技術を可能な限り利用して、新たな市場を開拓する以外に生き残る道はないですよね。 そこで、全社員一丸となり、起死回生を賭けて、“ジャパン・ジーンズ”の開発に飛び込んだのです。 戦前から続いた学生服やワークウェアを作っていた、誕生したばかりの中小企業が、社運を賭けて全く未開発の市場に向けて製品を作ることができたのは、若い会社だったからでしょう。 住み慣れた香川の地を離れた後、これが、二度目の賭けだったのかもしれません。 明日の“カッコいい”をつくる!BOBSONのジーンズを通じて日本を自由に。 ご存知のように、ジーンズはアメリカのカウボーイや労働者が身につけていたワークウェアでした。 ところが60年代になると、ボブ・ディランがジーンズをはいてステージに登場。彼の音楽とともに若者の間にジーンズが広がり、ファッションアイテムとして認識されていきました。 1969年には、伝説の野外音楽フェス『ウッドストック』が開かれ、「愛と自由と平和」を叫ぶジーンズ姿の若者で会場は熱気に包まれました。 まさに、BOBSONが誕生した年のことです。 当時、欧米の若者が熱狂していたジーンズ。 その中でも、アメリカ全土で巻き起こったヒッピームーブメントを象徴するファッションが「ロングヘア」と「ベルボトム」でした。 この勢いは凄かった。 「ベルボトム」は、ベルのように裾広がりのシルエットが特徴的なジーンズのこと。既存の特権階級社会や男性優位な価値観を否定するヒッピーの自由な精神を表していました。 この「ベルボトム」を日本の若者にイチはやく紹介したのがBOBSONです。 BOBSONは、70年代の世界最先端ジーンズファッションと若者カルチャーを発信する、オリジナルの「ミニブック」を発行しました。 日本全国のジーンズを取扱うショップの店頭で、ジーンズに興味のある方々がこれを手に取り、結果、ジーンズ文化を普及させたのでした。 現代にありがちな販促ツールのカタログではありません。 まず、ビジュアルがカッコいい。 そして、読みごたえのあるコンテンツ。 さらに、ファッションアイコンと呼ばれた有名人やミュージシャンなどがたくさん登場する紙面は、まさに自由と憧れの世界でした。同時に、BOBSONは日本の流通革命の波に呼応するように、1972年には全国販売網を確立させたのです。 北海道から九州まで、全国のチェーンストアにジーンズを納品できるディビジョン・システムを発足させました。 これによって、日本全国の若者がBOBSONのジーンズを入手できるようになり、彼らのライフスタイルやファッションも一変。 ジーンズ文化を切りひらいたBOBSONのベルボトムジーンズ「550」は大ヒットしました。 フォークやロック、パンクなどのミュージシャンはもちろん、ユニセックスなファッションに魅力を感じた当時の女の子たちの間でも大流行。 日本の女性が自分らしさを楽しみながら、スカートではなく男性と同じパンツスタイルで、男性と肩を並べてゲンキに、自由に街を歩ける時代がようやく幕を開けたのです。 「BOBSONのベルボトムを通じて、日本の女性を自由に。」なんて言い過ぎかもしれませんが、それくらいの情熱を持ってモノづくりをしていたことが、当時の仕様書(つくり方などを図や文章で細かく指示した書面)を見ると伝わってきます。  “あたりまえの美学”BOBSONクオリティ 70年代から80年代頃にBOBSONが発信してきたジーンズを、私たちは今、2020年代の新定番として復活させるべく挑戦を続けています。 それは、単なるヴィンテージとは違って、ちっとも古くさくない。 だけど、ノスタルジックな雰囲気や個性にあふれ、でも、どこか新鮮でピュアなエネルギーに満ちている。 そう、時代を超越するタイムレスなジーンズです。 親から子に受け継がれる確かな品質でありながらも、気取りのない、私どもにとっては“あたりまえ”のジーンズを“あたりまえ”に、適切な価格で販売していきたいと思います。 理由は「BOBSONって、こんなにカッコいいジーンズをつくってたんだ!」と若いみなさんに知ってもらいたいから? もちろん、正直そういう欲はあります(笑)。 でも、それだけじゃないんです。 ブランド草創期の定番をつくり直すことで、今なら当時の技術を、ギリギリ次の世代に継承することができるからです。 それが、日本のジーンズ界を牽引してきたBOBSONの使命だと思うのです。 日本の技術を受け継ぐ使命 「ジーンズの原点」を見つめ直した時、私は「これまで日本が進んできたモノづくりの道は、これでよかったのだろうか?」と、ふと疑問を感じたんですね。 実は、80年代から90年代にかけての大量生産時代に、ジーンズをつくる工程はガラリと様変わりしてしまいました。 いろんな種類のミシンが登場したんです。 どういうことかと言うと、流れ作業をさらに効率化するため、ジーンズを構成するパーツごとの専用ミシンが開発されました。 ポケット専用ミシンや裾専用ミシンなどです。 細分化され、半コンピュータ化したミシンは、一度設定してしまえば、あとはボタンを押すだけ。 スタッフの技術力に関わらず、一定のレベルで縫えてしまいます。 スピードは速く、生産効率もバツグン。 スタッフの熟練度に関係なく、誰がやってもある程度の商品が仕上がるのでロスも少なく、コストダウンにもつながります。 一方、スタッフの技術も上がらない為、応用が効かない技術者となり、過去からの貴重な技術と経験を次世代に受け継ぐことできないのです。 一定範囲の仕様による製品のコピーはできますが、応用ができないため、“らしさ”のある商品を生み出すことができないのです。 このように、SPAによる大量生産型ビジネスによって、近年、日本のメーカーが知恵と時間をかけて作ってきた商品の多くが、人件費の安い国へ生産場所を移していく流れが続いてきました。 「より多くのお客様へ、より安く、画一的な良い物を提供する」という姿勢は、それはそれで正しいと考えますし、世界の潮流を変えることは難しい。 ただ、できあがったジーンズは、まるっきり味のないモノになっています。 しかも、このままでは日本のメーカーが破壊されてしまう。 私は、そういう危機感を感じています。 昔は職人が、数種類のミシンを使い、知恵と技術を駆使しながら縫っていたんですね。 まっすぐ縫っていても多少、ゆがみがある。 だけど、それが「味」になってるんですよ。 人間の息づかいや手仕事の妙というか。 ジーンズ1本1本に、縫い手の個性が宿る感じでした。 現在の日本の生産現場の実情を考えた場合、同じことはできませんが、私たちはできる限り、“らしさ”のあるジーンズを作り続けることを考えています。 “らしさ”のあるジーンズを適価で 現在、BOBSONは、昔のような職人による生産ではなく、「ミニマスプロダクション」という生産体制を選択しています。       なぜなら、手間のかかる国内生産だから高価であるとするのは、50年以上ジーンズを作ってきたメーカーとしては「怠慢」と考えるからです。 そのため、生産コストを考慮し、海外での生産も行っています。 もちろん、今では少ない技術や仕様が必要な場合は、自社ならびに地場の協力工場と共同して生産します。 その場合、仕様そのものに手間がかかり、非常にコストが高くなってしまうリスクを回避するため、部分的に高効率なミシンも使用しています。 それでも、“らしさ”を失わないのは、私を含め当時からの熟練スタッフの存在があるからです。 このようにして考えられる限りの企業努力を行い、商品アイテムに“らしさ”を持たせ、それぞれの商品を適正価格により、適正量でムダなくお届けるすることが使命だと考えます。 「未来のヴィンテージ」を、 いま、BOBSONから! 現代を生きるお客様に愛され、飽きることなく長く履き続けていただけるような、価値あるジーンズを生み出すことができれば、それは「未来のヴィンテージ」となります。 BOBSONは、日本ジーンズの源流でもありますが、多数の画期的なジーンズを世に出してきた会社です。 そこで、ベルボトムをはじめ、70年代や80年代のバギーやブーツカット、ワイドパンツ、ストレート、スリム、カラージーンズなど、「定番」と呼ばれた商品を現代の感覚で、もう一度つくり直すことにより、技術だけでなく、「ジーンズのBOBSONらしさ」の魂やプライドもお見せできるよう、会社を進化させています。 これからも「過去を紐解き、未来を発明する」精神を持って、常に創造者であり、先駆者であることを理念として、より良いジーンズをお届けしていきたいと思います。
なぜ卓球なのか? BOBSONのパイオニア魂に迫る

なぜ卓球なのか? BOBSONのパイオニア魂に迫る

株式会社ボブソンホールディングスは、2018年に設立された卓球リーグ「岡山リベッツ」の最初の出資者であり、スポンサーでもあります。 当時は、まだプロ卓球ビジネスが成り立つかどうかなんて、まったく分かりませんでしたが、福原愛選手の活躍以降、少しずつ卓球が注目を浴びるようになってきていましたし、卓球ファンが増えつつあることを自身の肌で感じていました。 また、ちょうどその頃、私は「ファッショナブルな卓球の実業団チームを作り、業界に一石を投じたい」と考えていたのです。 熟考した結果、単独の企業でムーブメントを起こすよりも、全国規模のプロチーム、しかも世界で活躍するトップ選手たちの方が影響力は高いだろうと考え、「岡山リベッツ」を応援する決断をしたのです。 半世紀もジーンズを作ってきたジーンズメーカーBOBSONが、なぜ卓球なのか? その情熱の源は、BOBSONが受け継いできたパイオニア魂と、「アメーバ型の共創ブランド・メーカー」という経営スタイルにあります。 「ラージボール(新卓球)」の普及へ 2021年4月14日、株式会社ボブソンホールディングスは、株式会社ソフトアスリート「Soft Athlete Co., Ltd」(略称S.A.C)を設立いたしました。 新会社のミッションは、「個人レベルの市民スポーツ組織を自律的に持続成長が可能な組織とするための支援活動を現場レベルで行うこと」です。 その第1弾として「ラージボール(新卓球)」を採用しました。当面の活動目標は、ラージボールを硬式卓球と同様レベルにまで普及させることです。 ラージボールは「新卓球」とも呼ばれ、近年、シニア世代を中心に愛好者が急増している新しいスポーツです。人気の理由は、勝ち負けを超えた「心身の楽しさ」と「和気あいあい感」にあります。 「楽しい」という気持ちは、生きがいの原点だと思います。この点で、ラージボールは、絶対に普及すべき価値があると、私は確信しております。 好きになれるスポーツに出会い、それを通して多くの仲間とのコミュニケーションの場を得ることは、健康寿命をのばすことにつながります。 健康寿命をのばすことは「持続的な社会づくり」に不可欠な社会的課題の1つでもあります。 私たちはこの会社を、一時の利益追求ではなく、多くの問題に直面する「市民スポーツの持続的成長を阻害する課題の解決」に役立てます。道徳的な判断力を持って現場に入り、課題解決に取り組んでいく所存です。 人生100年時代のスポーツ「ラージボール」 ラージボールで使用される卓球台は通常の卓球台と同じです。ボールは、通常の卓球で使う硬式ボール(直径40mm・約2.7g)と比べて大きく軽いボール(直径44mm・2.2〜2.4g)を使用します。 ボールが大きくて軽いので、空気抵抗が強く、ボール速度が抑えられます。 ラケットのラバーは、回転のかかりにくい表ソフトラバーの1種類に制限されています。また、ネットは硬式ネットより、2センチ高くなります。 つまり、高いネットを境に、回転と速度が抑えられたボールを打ち合うため、ラリーが長く続くのです。そこが、プレーヤーにとってもオーディエンスにとっても楽しくなる秘密です。 このようなラージボールの特性上、身体の安全性が高いうえ、未経験の方にとっても参加ハードルが低く、子供も大人も高齢者も、上級者も初心者も、性別を問わず一緒にプレーできるというメリットがあります。 ラージボールを楽しむことで体力向上や筋力の低下予防にも役立ちますし、頭脳を使うスポーツなので、脳内の血流アップにより、認知症や心筋梗塞などの予防にも期待ができます。 また、1人ではできないスポーツですから、大会や練習会場において新しい「コミュニケーションの場」を作る役割も果たします。 ラージボールは、まさに人生100年時代の最適スポーツだと思います。 株式会社ソフトアスリートの名称には、「柔軟な発想力を持つ知的スポーツ選手でありたい」という願いが込められています。 共同代表の藤井洋子さんは、ラージボールの指導や大会の開催に尽力してこられた第一人者です。 株式会社ソフトアスリートは、これまで藤井さんが個人で続けてこられた活動を法人化させ、持続成長できる自律型組織としていく計画を実行します。 また、一部の人だけが経済的な負担を請け負うのではなく、共感いただけるボランティアやスポンサーを中心とした「草の根的な活動」により、全員参加型のローコストな仕組みを追求していきたいと思います。 そして、ラージボールの楽しさをもっとたくさんの人に伝え、ラージボールを普及させることで、より健康的な社会を作っていき、「全ての人のより楽しい人生に貢献したい」という夢をかなえることができたらと思います。 「ラージボール」を通じて 次世代カルチャーを生み出したい。 現在、世界や国内の各地では、マラソンやテニス、自転車、ヨットレースなど、さまざまな競技において、プロではないハイアマチュア選手や一般の市民プレーヤーが参加できる大会が開催されています。 参加者たちは、各地の大会に出場することを生きがいにしたり、共に競ったライバルと友情を育んだり、いろんな街を旅する喜びを味わい、豊かな人生を楽しんでおられます。そういう方々の活躍の場をどんどん広げていけるような大会を運営していきたいのです。 株式会社ソフトアスリートは、全国のいろんな地域でラージボールの大会を開催することにより、単なる競技としての楽しみに加え、参加する楽しさを提供できればいいなと思っています。 ラージボール大会を、たとえばファッショーや音楽フェスタ、グルメツアー、温泉卓球など楽しい要素を多彩に含んだイベント性の高いフェスと共同開催して地域の活性化につなげ、参加される方々の輪を広げて、多様性のある先進的な場にしてみたいと思います。 同時に、運営側の独りよがりな発想にならないよう、多様な参加者の方々にも経営に参加していただけるよう、「衆知の経営」を構築すべきと思っています。 ファッションで「楽しさ」は、もっと増幅する。 実は、私は中学から大学まで、ずっと卓球部に所属していました。 社会人になって30年弱の間、卓球から離れていましたが、娘が中学生になって卓球を始め、練習に付き合ったことをきっかけに再開。 それから町内の卓球大会に参加したり、地域の小学校の大会に出たりするようになり、現在は週2回・2時間程度練習しています。 私が学生の頃は「卓球は根暗なスポーツ」と言われていて(笑) 今のようなカッコいいイメージがなかったんですね。 当時より自分が好きなスポーツが、ネガティブイメージを持たれることに悲憤を感じておりました。 「何かを変えないといけない。明るく自由でオープンな環境と卓球関係者が生涯生活できる仕事があることは絶対必要」と思い続けてきました。 そのために、私たちのようなアパレルメーカーが卓球市場に入って、新しい風を起こしたい、卓球界のカンフル剤になりたいと考えました。 「卓球を明るくするには、ファッション性を変える必要がある」と言うのは簡単です。しかし、実際は困難の連続でした。 BOBSONは2009年から、ダンスやゴルフなどのウエアを生産販売してきたので、スポーツウェアの基本的ノウハウは持っていましたが、単なるスポーツウェアを作ったところで全然おもしろくありません。 全部デニムで作ってしまうと、スポーツに必要とされる機能を十分果たせません。 ジーンズブランドのBOBSONだからできる、ユニークな商品を生み出したい。 どこのメーカーも今まで作ったことがない、まだ世の中に存在しないアイテムを開発したい! そう考えた私たちは、社内で「ああでもない、こうでもない」と話し合いながら考え、最終的にみんなで出した結論は、デニムとポリエステルの融合でした。 「共創」がBOBSONのDNA デニムとポリエステルを融合させるというアイデアにたどり着いたものの、技術的にクリアしなければならない課題は山積みでした。 ジーンズは、綿100%のデニム生地。スポーツ素材といえば、ポリエステル100%。 糸の太さも、強度も、織り方も、縫製に使用するミシン、洗い方法も、何もかも違う生地をどうすれば融合させられるのか。 しかも、まったく縮率と組成が違う素材を、デニム用のミシンで縫製することは、大変難しいのです。 異素材を合わせたスポーツウェアは、ハードな使用や洗濯にも耐えられるのか? 手作業で1点1点作るので大変手間で、国内縫製のコスト面での難しさもありました。 長年の経験と知恵と技術をもって、試行錯誤を重ね、試作を作り続けること2年。 2020年頃から、まずは私たちのイメージしたようなデニムベースのスポーツウェアをようやく作れるようになりました。 そして2021年、まだらにブリーチ加工をしたデニム生地をライン状にあしらったスポーツウェアが完成したのです。 この商品が誕生した時、思わず「面白い!」と感動したんですよ。 デニムライン部分は、手作業の洗い加工の為、雰囲気や柄の出方、色味などが1点1点全部違うので、同じように見えても1点も同じウェアはありません。 こんなスポーツウェア、世界のどこにもない。しかも、それを「ほしい」と言ってもらえ、チームウェアに採用された時はメーカー冥利に尽きましたね。 最近は、選手やファンの方々から「こういう商品がほしい」とユーザーの貴重な声を直接、聞けるようになりました。 すでに、具体的なご要望もたくさんいただいているので、今は、それらを最優先で形にしていきたいと思います。 このラージボール大会には、どのスポーツ業界にも無いウェアを優先的に提案していきたいです。ひいては卓球業界の全体のファッション性を高め、「自己表現」を着ることで明るく楽しいプレー時間が過ごせるようになれば、たいへんうれしいですね。 お洒落なシニア女性卓球愛好者は増えていますから、日本の男性卓球愛好者は、もっとファションを意識すべきです。ミックスダブルスの時に、パートナーの女性から「プレーでもファションでも」喜んでもらえるようになるべきだろうと思います。 卓球は「全力疾走しながらチェスをするような競技」だと言われます。 会社経営も同じなんですね。 走りながら考え、実践し、修正していく。 常に周りは移り変わっていくし、1つの素材やアイテムの登場によってシーンがいきなり大転換することもあります。 だから、最も変化のめまぐるしいファッション業界で会社を経営するなら、過去と未来を意識しなければなりません。 一方で、遊びと余裕がないと楽しいものは、生み出せません。 これからも楽しいものづくりを続け、新しい卓球ファッションを提案できたら最高だと思っています。 最後に、弊社の経営コンセプトは、ジーンズブランドメーカーであることをアンカーとし、地場産業との補完関係を優先する「スモールマスプロダクションによる適価」を基本としています。また、製品開発に重点を置き、業界を超えてオリジナル性を生み出していく「共創」を行います。 バランスシート重視のキャッシュフロー経営を常とし、ステークホルダー共々安心して一緒に未来に向かっていくことを目指していきます。 【予約注文】デニムラインジャージパンツ 【予約注文】デニムラインジャージトップス 【予約注文】デニムラインジャージハーフパンツ
BOBSON中国、新店舗オープン

BOBSON中国、新店舗オープン

中国でのBOBSONショップの5号店の重慶店が5月2日にオープンしました。 月末には上海LALAPORT店の出店も予定しております。 この上海LALAPORT店で合計6店舗になりました。中国で日本の技術が高く評価されております。 中国BOBSON店舗のお近くにお住まいのかたは是非、ご来店くださいませ。