【社長インタビュー】ジャパン・ジーンズの源流「BOBSON」の生成

BOBSON | ボブソン | 歴史 | ベルボトム | ジーンズ職人




BOBSON トップメッセージ
五代目代表取締役 尾崎博志が語る
「ボブソンの生成」


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BOBSON(ボブソン)」というブランドは1969年に誕生しました。


今から、およそ半世紀前のことです。

【ブランド名の由来として、いろんなエピソードが伝わっているようですが、創業者の1人であり2代目社長にあたる私の父・尾崎宗次郎の話では、「Bサウンドは耳に残る」という、当時のマーケティングの影響が大きかったようです】


「BIGJOHN」「BettySmith」「BISON」「VICERER」「BLUEWAY」、岡山県・広島県発祥のブランドの多くが「Bサウンド」から始まっていますよね。

弊社の前身にあたる「山尾被服工業」は、1950年に設立されました。

初代社長は尾崎利春。私の父の兄、つまり叔父にあたります。


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「サクラサンエー」という、いかにも日本らしいブランド名の学生服や、作業服の製造販売を手がけていました。

尾崎家は、もともと、香川県の荘内半島で半農半漁の生活をしていました。ところが、製紙工場が出す排水で海に汚染が広がり、この地区での漁業の将来性に不安を感じ、家・田畑・漁業権を全て売り払い、瀬戸内海を渡って真向かいの岡山県・児島に出てきたのです。昔から紡績と縫製が盛んな児島へ引っ越したことが、日本ジーンズの元祖となる「BOBSON」と「BIG JOHN」を生み出す偶然につながったのだと思います。


創業まもなく稼働ミシンは100台を超え、JIS表示認可工場となりました。

また、当時「安かろう 悪かろう」という日本のイメージを払拭するため、通産省が厳しく管理していた対米輸出の認可を得て輸出を行い、日本の対外収益に貢献。岡山県より表彰を得るなどして順調に業績を伸ばしていきました。

ところが、60年代後半になると、収益の大半を稼いでいた学生服に使用していたウール繊維よりも、強くて扱いやすく手間のかからない合成繊維が新たに開発されたのです。

当時、まだ会社の規模が小さかった弊社をはじめ、岡山県内の中小規模の学生服メーカー数社は、その新素材を入手できませんでした。

すると、あっという間にシェアは奪われ、大量の在庫を抱えることになってしまったのです。


設立まもない会社には、新しい業界に出ていくだけの資金的余裕はなく、既存の設備と技術を可能な限り利用して、新たな市場を開拓する以外に生き残る道はないですよね。

そこで、全社員一丸となり、起死回生を賭けて、“ジャパン・ジーンズ”の開発に飛び込んだのです。

戦前から続いた学生服やワークウェアを作っていた、誕生したばかりの中小企業が、社運を賭けて全く未開発の市場に向けて製品を作ることができたのは、若い会社だったからでしょう。


住み慣れた香川の地を離れた後、これが、二度目の賭けだったのかもしれません。


明日の“カッコいい”をつくる!
BOBSONのジーンズを通じて
日本を自由に。




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ご存知のように、ジーンズはアメリカのカウボーイや労働者が身につけていたワークウェアでした。

ところが60年代になると、ボブ・ディランがジーンズをはいてステージに登場。彼の音楽とともに若者の間にジーンズが広がり、ファッションアイテムとして認識されていきました。

1969年には、伝説の野外音楽フェス『ウッドストック』が開かれ、「愛と自由と平和」を叫ぶジーンズ姿の若者で会場は熱気に包まれました。

まさに、BOBSONが誕生した年のことです。


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当時、欧米の若者が熱狂していたジーンズ。

その中でも、アメリカ全土で巻き起こったヒッピームーブメントを象徴するファッションが「ロングヘア」と「ベルボトム」でした。

この勢いは凄かった。


「ベルボトム」は、ベルのように裾広がりのシルエットが特徴的なジーンズのこと。既存の特権階級社会や男性優位な価値観を否定するヒッピーの自由な精神を表していました。

この「ベルボトム」を日本の若者にイチはやく紹介したのがBOBSONです。


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BOBSONは、70年代の世界最先端ジーンズファッションと若者カルチャーを発信する、オリジナルの「ミニブック」を発行しました。

日本全国のジーンズを取扱うショップの店頭で、ジーンズに興味のある方々がこれを手に取り、結果、ジーンズ文化を普及させたのでした。

現代にありがちな販促ツールのカタログではありません。


まず、ビジュアルがカッコいい。

そして、読みごたえのあるコンテンツ。

さらに、ファッションアイコンと呼ばれた有名人やミュージシャンなどがたくさん登場する紙面は、まさに自由と憧れの世界でした。



同時に、BOBSONは日本の流通革命の波に呼応するように、1972年には全国販売網を確立させたのです。

北海道から九州まで、全国のチェーンストアにジーンズを納品できるディビジョン・システムを発足させました。

これによって、日本全国の若者がBOBSONのジーンズを入手できるようになり、彼らのライフスタイルやファッションも一変。

ジーンズ文化を切りひらいたBOBSONのベルボトムジーンズ「550」は大ヒットしました。


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フォークやロック、パンクなどのミュージシャンはもちろん、ユニセックスなファッションに魅力を感じた当時の女の子たちの間でも大流行。

日本の女性が自分らしさを楽しみながら、スカートではなく男性と同じパンツスタイルで、男性と肩を並べてゲンキに、自由に街を歩ける時代がようやく幕を開けたのです。

「BOBSONのベルボトムを通じて、日本の女性を自由に。」なんて言い過ぎかもしれませんが、それくらいの情熱を持ってモノづくりをしていたことが、当時の仕様書(つくり方などを図や文章で細かく指示した書面)を見ると伝わってきます。


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 “あたりまえの美学”
BOBSONクオリティ




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70年代から80年代頃にBOBSONが発信してきたジーンズを、私たちは今、2020年代の新定番として復活させるべく挑戦を続けています。

それは、単なるヴィンテージとは違って、ちっとも古くさくない。

だけど、ノスタルジックな雰囲気や個性にあふれ、でも、どこか新鮮でピュアなエネルギーに満ちている。


そう、時代を超越するタイムレスなジーンズです。

親から子に受け継がれる確かな品質でありながらも、気取りのない、私どもにとっては“あたりまえ”のジーンズを“あたりまえ”に、適切な価格で販売していきたいと思います。

理由は「BOBSONって、こんなにカッコいいジーンズをつくってたんだ!」と若いみなさんに知ってもらいたいから?

もちろん、正直そういう欲はあります(笑)。

でも、それだけじゃないんです。


ブランド草創期の定番をつくり直すことで、今なら当時の技術を、ギリギリ次の世代に継承することができるからです。

それが、日本のジーンズ界を牽引してきたBOBSONの使命だと思うのです。


日本の技術を受け継ぐ使命

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「ジーンズの原点」を見つめ直した時、私は「これまで日本が進んできたモノづくりの道は、これでよかったのだろうか?」と、ふと疑問を感じたんですね。

実は、80年代から90年代にかけての大量生産時代に、ジーンズをつくる工程はガラリと様変わりしてしまいました。

いろんな種類のミシンが登場したんです。


どういうことかと言うと、流れ作業をさらに効率化するため、ジーンズを構成するパーツごとの専用ミシンが開発されました。

ポケット専用ミシンや裾専用ミシンなどです。

細分化され、半コンピュータ化したミシンは、一度設定してしまえば、あとはボタンを押すだけ。


スタッフの技術力に関わらず、一定のレベルで縫えてしまいます。

スピードは速く、生産効率もバツグン。

スタッフの熟練度に関係なく、誰がやってもある程度の商品が仕上がるのでロスも少なく、コストダウンにもつながります。

一方、スタッフの技術も上がらない為、応用が効かない技術者となり、過去からの貴重な技術と経験を次世代に受け継ぐことできないのです。


一定範囲の仕様による製品のコピーはできますが、応用ができないため、“らしさ”のある商品を生み出すことができないのです。

このように、SPAによる大量生産型ビジネスによって、近年、日本のメーカーが知恵と時間をかけて作ってきた商品の多くが、人件費の安い国へ生産場所を移していく流れが続いてきました。

「より多くのお客様へ、より安く、画一的な良い物を提供する」という姿勢は、それはそれで正しいと考えますし、世界の潮流を変えることは難しい。


ただ、できあがったジーンズは、まるっきり味のないモノになっています。

しかも、このままでは日本のメーカーが破壊されてしまう。

私は、そういう危機感を感じています。

昔は職人が、数種類のミシンを使い、知恵と技術を駆使しながら縫っていたんですね。


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まっすぐ縫っていても多少、ゆがみがある。

だけど、それが「味」になってるんですよ。

人間の息づかいや手仕事の妙というか。

ジーンズ1本1本に、縫い手の個性が宿る感じでした。

現在の日本の生産現場の実情を考えた場合、同じことはできませんが、私たちはできる限り、“らしさ”のあるジーンズを作り続けることを考えています。

“らしさ”のあるジーンズを適価で

現在、BOBSONは、昔のような職人による生産ではなく、「ミニマスプロダクション」という生産体制を選択しています。

 

 

 

なぜなら、手間のかかる国内生産だから高価であるとするのは、50年以上ジーンズを作ってきたメーカーとしては「怠慢」と考えるからです。

そのため、生産コストを考慮し、海外での生産も行っています。

もちろん、今では少ない技術や仕様が必要な場合は、自社ならびに地場の協力工場と共同して生産します。

その場合、仕様そのものに手間がかかり、非常にコストが高くなってしまうリスクを回避するため、部分的に高効率なミシンも使用しています。


それでも、“らしさ”を失わないのは、私を含め当時からの熟練スタッフの存在があるからです。

このようにして考えられる限りの企業努力を行い、商品アイテムに“らしさ”を持たせ、それぞれの商品を適正価格により、適正量でムダなくお届けるすることが使命だと考えます。

「未来のヴィンテージ」を、

いま、BOBSONから!


現代を生きるお客様に愛され、飽きることなく長く履き続けていただけるような、価値あるジーンズを生み出すことができれば、それは「未来のヴィンテージ」となります。

BOBSONは、日本ジーンズの源流でもありますが、多数の画期的なジーンズを世に出してきた会社です。


そこで、ベルボトムをはじめ、70年代や80年代のバギーやブーツカット、ワイドパンツ、ストレート、スリム、カラージーンズなど、「定番」と呼ばれた商品を現代の感覚で、もう一度つくり直すことにより、技術だけでなく、「ジーンズのBOBSONらしさ」の魂やプライドもお見せできるよう、会社を進化させています。

これからも「過去を紐解き、未来を発明する」精神を持って、常に創造者であり、先駆者であることを理念として、より良いジーンズをお届けしていきたいと思います。


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