2021年8月20日
(更新日2021年08月20日)
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バブル時代のジーンズと時代を作ったBOBSONと日本の技術革新





BOBSON トップメッセージ
尾崎博志の「突き抜ける信念」Vol.3




BOBSON | 尾崎 | 社長インタビュー




私の父・尾崎宗次郎(2代目社長)は第2次世界大戦で昭和18年に出征し、「インパール作戦」で知られる激戦地ビルマ(現ミャンマー)に赴きました。

生きて帰れた理由は、機械や電気関係の技術を持っていたため通信部隊に入れたからだと、のちに本人が自伝に記しています。




その自伝には、終戦後の現地で父が隊員の「洋服づくり」を上官に提案したことが書かれています。ボロボロに破れ果てた隊員の服を見かねてのことでした。

父は出征前、兄・尾崎小太郎(マルオ被服創業者/のちのBIG- JOHN創業者)の仕事を手伝っていたので、洋服の作り方を多少知っていたようです。




イギリス軍の兵士から譲り受けたテント用の幕布を使い、ナイフで生地を裁断し、見本を作って隊員たちに作り方を指導したところ、見事に針と糸を使って服を仕上げていく「日本人の器用さに驚いた」と語っています。


インパール作戦 | BOBSON




当時の職人が残したBOBSONの財産




BOBSONはベルボトムジーンズのヒット以降、ジェンダーレスなブランドイメージが先行し、特に女性に人気があったんです。

レディスは流行に左右されやすいですよね。今年はベルボトムでも、来年はスリムになるなど流行が移ろいやすく、スカートやサロペットなどアイテムの種類も多い。


BOBSON | 1970年代 | ファッション | ボブソン




同じデザイン・同じ仕様の定番商品を作り続けるのと比べると、毎年、違う商品を開発して作らなければならないので経営的にはロスが多くなります。

BOBSONがブランドとして急成長できたのは、そういう困難があったからではないかと思います。


BOBSON | ボブソン | 縫製 | 技術




その頃のBOBSONは100%自社工場で自前のモノづくりをしていました。そのため、クイックな生産対応が可能でした。

市場ニーズへの対応がどこよりも速いので、シーズン性の強いアイテムでも納期ギリギリまで引きつけて、「売れる」商品を効率的に生産することができたのです。


それを支えたのが、日本の縫製力です。

愛媛県の吉田工場と山口県の山口工場を筆頭に、全国に10以上の生産拠点を持ち、1工場あたりジーンズを年間100万本単位で生産していたと思います。

各工場で同じ品質の製品を生産するために欠かせないものが、前回の記事でも少しお見せしたBOBSONの「仕様書」です。


ボブソン | 仕様書 | BOBSON




とにかく細かく、数字や縫製の注意点まできちんと詳細に書き込んであり、下請けの工場さんの中には「BOBSONの仕様書がウチのモノづくりの元になっている」とおっしゃる取引先もあります。

「仕様書」を見れば、その通りに縫製できる日本人の器用さ、技術の高さがBOBSONを一流ブランドに押し上げてくれました。


「仕様書」はBOBSONの財産です。当時の職人たちに、よくぞ残してくれたと感謝したいです。


BOBSONが起こした流通革命




ジーンズや学生服を作る以前の当社は、作業服を製造販売していました。

その頃の販売手法は「訪問販売」です。社員が直接、商品をお客様のところに持参して商談していました。そのため、全国に営業エリアを広げる中で、各地に営業拠点を設けるようになりました。


1969年にジーンズ生産を始めた後は、デヴィジョンシステムを導入しました。




この場合のデヴィジョンは、支店のことです。沖縄全島が日本に返還された1972年には、北海道から沖縄までの主要なエリアに支店を設け、全国販売網を一気に確立しました。

これまで信頼関係を築いてきた各地の営業拠点に、当社が出資し、法人化を図り、特約契約のある支店としたのです。


これによってアパレルメーカーのBOBSONが全国販売ネットの力を身につけたことは、他社メーカーにマネのできない、大きな強みになりました。

当時のファッション業界は、卸売りが基本でしたから、どこのメーカーも地域の卸問屋に商品を納入し、卸問屋が各エリアの百貨店などに販売していました。


つまり、販路についても、売り方についても、地方の卸問屋に全て「おまかせ」という形で商売していたのです。

しかし、デヴィジョンシステムを確立することで、BOBSONは卸問屋を通さず、小売業者に直接、自社商品を売ることができるようになりました。


卸業者を通さないことで、私たちメーカーも、販売先の小売業者も利益を上乗せできます。

それだけでなく、卸問屋とは違って当社の商品だけを販売することで担当者との意思疎通が図りやすく、ブランドのイメージも、思いも、世界観も、全て意のままに展開できたのです。


当時、国内ではダイエーやイトーヨーカドーなどの総合スーパーがものすごい勢いで全国展開を進めていました。

このような小売業界の流通革命に、いち早く対応し、全国各地に支店を設けるという大英断を下したのは、当時の経営陣であった尾崎利春(財務担当)・尾崎宗次郎(生産担当)・吉田清一(販売担当)の3人でした。三位一体の経営がBOBSONを一躍、ジーンズのトップブランドに進化させました。


バブル時代をつくった「04ジーンズ」




BOBSON | レーヨンジーンズ | 04JEANS | ボブソン




1969年より前のこと、BOBSONが初めて試作したジーンズは、あまりにもゴワゴワしていて硬く、とてもはけるようなものではなかったそうです。そのため、糊剤などの付着物を落とす洗い加工という手法が編み出されました。

国産ジーンズは、出発地点から技術革新とともに進化を遂げてきたのです。


とくに、ジーンズ文化の成長過程にあった80年代・90年代は、ペダルプッシャーとか、カットオフとか、ストーンウォッシュとか、今までなかったようなデザインや技術、素材が生まれては、次々と商品化されていきました。

大量生産・大量消費、作れば売れるという時代。


毎シーズン、商品のデザインを変えるのはもちろん、色から素材から全ての要素を変えていました。「DCブランド」と呼ばれたデザイナージーンズも大盛況でした。

中でも、部分的にブリーチする「ケミカルウォッシュ」が世界的に大流行!


BOBSON | 1970年代 | ファッション | ボブソン | ケミカルウオッシュ




いま40代後半以上の方なら、必ず1本は持っていたのではないでしょうか。

この勢いが、90年代の「04ジーンズ」の開発につながります。




BOBSONが世界に初めて送り出した「04ジーンズ」の開発者は、BOBSONの社員だった故・古澤カズオさん。この方は、秀でた才能と才覚を持つ素晴らしい方でした。

レーヨン素材を含んだ「04ジーンズ」は、非常に軽くて柔らかいジーンズです。もう、一挙に何千万本という莫大な本数のジーンズが売れに売れました。


「ジーンズは硬くて重いもの」という常識を打ち破り、世界のジーンズカルチャーを180度変えてしまった。私たちも世の中の雰囲気が一変したような体験をしました。

もともとBOBSONは、特にレディスで強かったこともあり、以前から「軽くて柔らかい生地が求められるんじゃないか」という思いを、ずっと開発者は持ち続けていたんですね。


そこで、古澤さんがある素材…アパレル素材ではないんですが、その素材と出あった時に「アパレルで使ってみよう!」とひらめいたみたいなんです。

今思えば、とても度胸が良かったですよね。


売り上げがずっと右肩上がりだったバブル期ならでは、とも言えるでしょう。

現在、BOBSONは70〜80年代の定番商品の再生に挑戦していますが、それと同時に、新しい素材や加工など、いろんな技術も開発しています。


近年、繊維素材の開発が急速に進んでいます。クール素材も、軽量ジーンズも、保温性の高いジーンズも、BOBSONは早期に取り入れました。

加工技術では、世界のどこにも負けない自信があります。


BOBSON | 技術




「定番×革新」を追求し続けて




現在は、スポーツ素材を使った新商品開発も行い、スポーツ用のニット素材とデニム素材の融合技術も開発しました。

そういう、世の中にない新しい機能素材や技術ができれば、どんどん採用していきたいと思います。


前進するためには、定番と革新、どちらもクルマの両輪のように並行して進めていく必要があると考えているからです。

BOBSONは、新しいものをずっと追い求めてきた会社です。


「先取り・先駆け」が、初代の経営者から受け継いだDNA。

現状維持は結局、後退と同じだと自らを奮いたたせ、バランス感覚を大事にしながら常に先駆け、リスクを取って行動し、経営していきたいと思います。


BOBSON | ジーンズ